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1-4【白洲次郎】マッカーサーを叱った男~戦後復興への挑戦~

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投稿者:okinadokidokiさん

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しらす じろう 明治35年(1902年)2月17日 - 昭和60年(1985年)11月28日)日本の実業家。終戦直後GHQ支配下の日本で吉田茂の側近として活躍し、貿易庁(通産省)長官等をつとめる。独立復興後は、東北電力会長等を歴任した。夫人は、作家・随筆家の白洲正子。イギリス仕込みの流暢な英語力、185cmの長身、日本で最初にジーンズをはいたダンディーな男。昭和20年(1945年)、東久邇宮内閣の外務大臣に就任した吉田茂の懇請で終戦連絡中央事務局(終連)の参与に就任する。ここから、白洲次郎の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)を向こうに回した戦いの火蓋が切られる。主張すべきところは頑強に主張し、GHQ某要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。昭和26年(1951年)9月、サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行する。この時、首席全権であった吉田首相の受諾演説の原稿に手を入れ、英語から毛筆による日本語に書き直し、奄美諸島、琉球諸島(沖縄)並びに小笠原諸島等の施政権返還を内容に入れさせた。吉田退陣後は、政界入りを望む声もあったが政治から縁を切り、実業界に戻る。【ゴルフ】中曽根康弘が立ち寄った際、コースから閉め出されたSPと新聞記者が双眼鏡を用いて中曽根の様子をうかがっていたところ、「なんだ?バードウオッチングか?」と強烈に皮肉ったといわれている(当時、中曽根は政治的立場をよく変えるため「風見鶏」と揶揄されていた)。白州はジョークのセンスもなかなかのものであり、頭は柔らかいが「うるさがたの爺様」だったようだ。【死去】80歳まで1968年型ポルシェ911Sを乗り回し、ゴルフに興じていたが、昭和60年(1985年)11月に正子夫人と伊賀・京都を旅行後、体調を崩し、胃潰瘍と内臓疾患で入院。同年11月28日死去。享年83。正子夫人と子息に残した遺言書には「葬式無用 戒名不用」と記してあった。 【名言集】「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」「私は、"戦後"というものは一寸やそっとで消失するものだとは思わない。我々が現在声高らかに唱えている新憲法もデモクラシーも、我々のほんとの自分のものになっているとは思わない。それが本当に心の底から自分のものになった時において、はじめて"戦後"は終わったと自己満足してもよかろう」

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